【宮司が語る 参】 船引神社 田代 敏徳 宮司-0

【宮司が語る 参】 高千穂神社 後藤 俊彦 宮司

ここ船引は、宮崎市・清武町の中で今でも農業の盛んな地域です。土地を守る産土神として、地域の方から親しまれる船引神社の宮司・田代敏徳さんにお話を伺いました。

地域を見守る大きな存在

 船引神社の創建は平安時代末期と言われています。全国的に八幡神社が多く建てられた時代に、船引神社も八幡神社として創建されました。主祭神は仲哀天皇、神功皇后、応仁天皇だとされます。
 社殿裏にある大クスは、樹齢約900年、根回り約18メートル、木の幹の部分は約8畳の大きな空洞になっており、戦時中は防空壕にも使われたそうです。財政難に陥った際、大クスを切り倒して樟脳にすることが決まったものの、その日の夜に狐が大騒ぎをしたため、切り倒す話は取りやめになったという伝説もあるとか・・・。

 「台風で、大きな枝が折れて弱った時もありますが、今は元気な姿を取り戻しつつあります。ここのクスは樹形が素晴らしいでしょう。ちょうど牛が横たわったようにも見えるのです。クスがもっと元気な時は、地域の子ども達の格好の遊び場所でもあったのですよ」と田代宮司は語ります。
 11月中旬には、シイの木の根元に生えるヤッコソウが可憐な花を付け、目を楽しませてくれます。

神楽に見る地域の祈り

 船引神社では、県指定無形文化財である船引神楽が元旦と春分の日に奉納されます。船引神楽は、高千穂町などに伝わる夜神楽とは異なり、昼間に舞われる春神楽や作神楽と言われるものです。農業が盛んな地域であることもあって、稲作をする一連の動作が神楽の舞の中にあります。また、笛や太鼓の調子が一番ごとに違うため、神楽の一番だけを取っても、大変見応えがあるといいます。
 「実は、船引神楽は明治時代に一度絶えかけたのです。しかし地元の人の“神楽を伝え続けたい”という思いが強かったのでしょう。串間神社の神楽が船引神楽によく似ていたため、少年3人が串間神社の神楽を習いに行き、そこから今日まで伝え続けています」と田代宮司は語ります。
 また、毎年敬老の日には、五穀豊穣や家内安全などを祈願する“臼太鼓踊り”も奉納されています。臼太鼓踊りとは、太鼓を叩き、背中の旗をひらめかせて勇壮に舞う踊りです。太鼓の中に槍などを隠して攻め入ったという、神功皇后の朝鮮征伐の様子を表していると言われています。

 参拝の際には、社殿にある2対の雲龍巻き柱を是非ご覧ください。1本の木から彫られた見事なつくりで、柱に巻き付いた龍がまるで命を持っているかのように生き生きとした表情をしています。

 農業が盛んなこの地域で、五穀豊穣を祈願する“神楽”と“臼太鼓踊り”が奉納される船引神社。一年の祭事に欠かすことのできない大きな存在であり、昔からずっと変わらず地域住民の心の拠り所となっている、そういった想いの伝わる話を語ってくださいました。

Column

船引神社 田代 敏徳-1

船引神社 田代 敏徳

昭和32年 清武町船引地区に生まれる
昭和51年 日本大学農獣医学部入学
昭和55年 同大学卒業
昭和56年 船引神社に禰宜として仕える
平成元年 船引神社宮司に就任

宮司が語るリンク集

宮司が語る
 
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【宮司が語る 四】大御神社 新名 光明 宮司  【宮司が語る 伍】榎原神社 岩切 宗治 宮司

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