【宮司が語る 壱】 高千穂神社 後藤 俊彦 宮司-0

【宮司が語る 壱】 高千穂神社 後藤 俊彦 宮司

天孫降臨の地、夜神楽の郷として、近年注目を浴びている高千穂。その高千穂18郷にわたる88社の総社として、地域の人々の崇敬を集める高千穂神社宮司・後藤俊彦さんにお話を伺いました。

臼杵の郡の千穂の里

高千穂神社は、天孫降臨したニニギノミコトからウガヤフキアエズノミコトまでの日向三代と称される皇祖神とその配偶神、加えて、十社大明神といわれるミケイリノミコトとその妻子10神を御祭神とします。約1900年前の垂仁天皇時代の創建とされ、高千穂88社の総社でもあります。
高千穂町の由来は、『日向國風土記』の中にあり、ニニギノミコトが降臨した際に「高天原から持ってきた稲の穂を抜いてその籾種を四方に撒いたところ、たちまち日月光り輝いて、光明の世界が拓けてきた。従ってこの地を臼杵の郡の千穂の里と名付けた」ことだとされます。また、高千穂神社は、神武天皇の兄であるミケイリノミコトが暴れていた鬼八を退治した後、国家鎮護の祈りを込めて日向三代を祀って創建したともいわれています。 

創建にまつわる鬼八伝説と猪掛祭

昔から高千穂神社は高千穂峡一帯を境内地としていましたが、地域との結びつきの強さは、神社に伝わる祭礼からも感じられます。
6月31日は夏越の祓い。高千穂神社では人形(ひとがた)流しという独特のお祓いも行われます。参拝者は、茅の輪をくぐった後、1年間の罪穢れを人形に切った紙で体をなでて、神社に奉納します。その人形は、宮司がお祓いをした後に、高千穂峡に流しに行くのです。
また、毎年旧暦の12月3日には猪掛祭が行われます。これはミケイリノミコトが退治した鬼八の魂をしずめるために、鬼八の好物だった猪を奉納するもの。鬼八は退治された後も何度もよみがえり、早霜を降らせて作物を腐らせたため、猪を奉納し鎮魂することで早霜の害を防いだとされます。 
「私が神職に就いて41年になりますが、毎年旧暦12月3日に今も行っています。自分の代で変えて、何かあっても困りますから」と笑いながら話す後藤宮司に、伝統を守り続けることの意義、役割の重さを垣間見ました。
このような祭礼を長く受け継いできたのは、夜神楽を今なお守り続ける、地域の人達の力もあるかもしれません。
「神社はもともと、地域性と家族性が結びつくところ。夜神楽は、その年一年良いことがあった家も悪いことがあった家も一緒になって、共同体の一員であることを再確認する場でもあるのです」。神社に参拝する若者が増えたのは、「日本人としてのルーツを知ることで安心するからでは」と語る後藤宮司。
村の人々が共同体として生活をしていた古き良き日本の形を今に留めるからこそ、地方から発信できることがあるはずと強く語っていました。 

Column

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高千穂神社 後藤 俊彦

昭和20年 宮崎県高千穂町生まれ。
九州産業大学商学部卒業後、國學院大學神道学専攻科、
ならびに日本大学今泉研究所を卒業。
昭和56年 高千穂神社禰宜を経て宮司就任。
昭和62年 神道文化奨励賞受賞。
以降神社本庁評議員、神道政治連盟副会長、
神社本庁九州地区講師、高千穂町観光協会会長を歴任。
平成26年 神社本庁より神職身分特級を授かる。

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