Ⅰ 神話を知る ~5.神武東征①生誕~出立ルート~-0

Ⅰ 神話を知る ~5.神武東征①生誕~出立ルート~

南の天孫降臨の聖地とされる高千穂峰の麓に、初代天皇とされる神武天皇ご生誕の地・高原町があります。「神武のふるさと」高原町は、神武天皇が幼少期を過ごし、地名などに名残を残しています。15歳で宮崎市へ。神武天皇の幼少期から青壮年期までをたどるルートです。

ストーリー

山幸彦と海神の娘トヨタマヒメが結ばれ、鵜戸神宮付近で生まれたウガヤフキアエズノミコトの子が、日本の初代天皇といわれる神武天皇(カムヤマトイハレヒコノスメラノミコト)です。高原町の「皇子原」で生まれたとされる神武天皇は幼少期、サノノミコトと呼ばれていました。高原町には、その名を冠した「狭野(さの)神社」、幼いころ遊んだとされる「御池」などがあります。神武天皇は日本国を治めるため、大和の国へと向かいます。その東遷の際、宮崎市の「皇宮屋(こぐや)」で約30年を過ごし、45歳で日向の美々津港から出立されたといわれています。

皇子原(おうじばる)神社

神武天皇が誕生された産屋跡

高千穂峰の麓・高原町は、神武天皇生誕の地といわれています。「皇子原神社」は産屋があった跡といわれ、本殿後背にある産婆石(うべし)付近で生誕されたと伝わります。皇子原古墳群には6基の古墳があり、その1号墳に神社が建てられています。一帯の公園内にある神武の館には、人形で神話のシーンが再現され、無料で観覧できます。桜や300万本の彼岸花が彩る季節は特に美しい景観が広がります。

狭野(さの)神社

幼名サノノミコトから名づけられた

神武天皇の幼名は、狭野尊(サノノミコト)といいました。「狭野神社」は、主祭神であるミコトの名に由来しています。朱塗りの門をくぐると、杉並木の長い参道が続いています。今から約400年前に植えられ、狭野の杉並木として1924(大正13)年に国の天然記念物に指定されました。かつては宮崎神宮の別宮であり、神宮の拝殿・本殿、宝物を展示していた旧徴古館は、狭野杉を使って建てられています。

御池

火山の噴火によりできた 幼少時の水浴び場

神武天皇が幼少時に水浴びをして遊んでいたと伝えられています。高千穂峰を正面に望む「皇子港」は、御池に7つあった港のうちの一つです。御池は、約4600年前の霧島山の噴火によりできた火口湖で、湖底はすり鉢状になっていて、水深100mもあるそう。自然が守られ、周囲の森は野鳥の楽園となっています。

宮崎神宮

広大な森に包まれた神武天皇を祀る大社

神宮を守る広大な森は野鳥の楽園と呼ばれるほどです。初代天皇とされる神武天皇が東征以前に周辺の地に宮を置いたといわれ、主祭神として祀られています。境内には、皇族の方々の御手植えの木々が育ち、さらに緑を濃くしています。毎月の1日詣でや七五三をはじめ、春の流鏑馬や秋の大祭(神武さま)など、今も地元で篤く信仰されています。

皇宮(こうぐう)神社

鎮守の森にひっそりとある皇居跡

神武天皇は、皇太子に即位された15歳の時に高原を発ち、宮崎のこの付近に移られ、ここで45歳までを過ごしたといわれています。その「皇宮屋(こぐや)」と呼ばれる皇居跡に建てられているのが、神武天皇を主祭神とする宮崎神宮摂社「皇宮神社」です。周囲を巨木が取り囲み、静かな中に凛とした空気が漂っています。眼前に大淀川の流れを、遥か西方に霧島を望む地です。

平和台公園

市街地を一望する神武天皇ゆかりの公園

1940(昭和15)年、神武天皇即位紀元2600年記念として造られた、高さ37mの平和の塔を中心に整備されました。塔前の芝生広場の中心に立って手を叩くと、不思議な音がこだまします。宮崎市街地を一望し、カフェやはにわ園、アスレチック広場、自然散策路などがあり、宮崎市民の憩いの場。1964(昭和39)年の東京オリンピックの際、国内聖火リレー第2コースの起点となりました。

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